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特集1 カッパと志木市(2)

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埼玉県志木市

【カッパの伝説が残るまち】
皆さんは、志木市に残るカッパの伝説をご存じですか?
柏町にある宝幢寺(ほうどうじ)の和尚さん(一説には地蔵)とカッパの話や、引又河岸(ひきまたかし)の船頭がカッパと相撲を取る話などがあります。特に、宝幢寺のカッパ伝説は、柳田国男の「山島民譚集(さんとうみんだんしゅう)」にも採録されるなど、志木市には川のまちならではのカッパの伝説が今も語り継がれています。

●カッパと柳田国男
日本民俗学の創始者、柳田国男と言えば、岩手県遠野地方に伝わる伝承や逸話を記した「遠野物語」が有名ですが、自らが資料を集め、民俗学の著書として最初に書き上げたのが「山島民譚集」と言われています。この本は、大正3年(1914)に「甲寅叢書(こういんそうしょ)」シリーズの1冊として発刊されたもので、のちに本人は、「カッパの本」と呼ぶようになったそうです。
山島民譚集には、「河童駒引(こまびき)」として、全国各地のカッパの伝承が記載されていて、宝幢寺のカッパ伝説も取り上げられています。
宝幢寺のカッパ伝説は、江戸期、文化6年(1809)刊行の「寓意草(ぐういそう)」に収録されていましたが、山島民譚集に採録されたことで、志木市がカッパのまちとして認識されるきっかけになりました。

▼伝説
▽和尚に助けられたカッパのお話
昔、人や馬に悪さをするカッパが柳瀬川に住んでいました。ある日、そのカッパが、馬を川の中に引きずりこもうとして失敗し、村人たちに捕まってしまいました。
そこに宝幢寺の和尚さんが現れ、哀れに思った和尚さんが村人たちを説得し、カッパを助けてあげました。
すると、翌朝、和尚さんの枕元に、カッパからのお礼なのか鮒ふなが置いてあり、それ以来二度と人や馬が襲われることがなくなりました。
▽カッパを相撲で負かしたお話
引又河岸の老練な船頭は、カッパから相撲を挑まれても普段は相手にすることはありませんでした。
しかし、ある時、あまりにも悪態の数々を吹っかけるカッパに、とうとう堪忍袋の緒を切らした老練の船頭は、舟から飛び降り構えました。カッパは腹の中で「しめしめ」と舌なめずって小さな身体で抱きつきにかかります。
ところが、船頭にさんざん横っ面をはたかれ、のどわを突き上げられたため、カッパの皿の水が飛び散り干上がってしまい、仰向けに倒れ込むと、苦しそうな息の中で「あんたには負けた」と降参したのでした。その後、カッパ仲間では、船頭と坊主には関わるなと言われるようになったのでした。

問合せ/生涯学習課 内線3132

●カッパ像を巡る
市内には、宝幢寺のカッパをはじめ24体のカッパ像があります。このうち23体は、本町で石材店を営み、彫刻家でもある内田榮信(えいのぶ)さんが「伝説が数多く伝わるほど志木市とは縁の深いカッパを地域に広めたい」との思いから制作したものです。
カッパ像の場所を知りたい場合は、観光ガイドマップをご覧ください。市内のご当地グルメやサイクリストサポートステーションなども掲載してます。市役所や志木駅改札構内で配布しているほか、市ホームページでも公開中です。
カッパの伝説に思いをはせ、カッパ像を巡るお散歩をすると、カッパを通して見るまちは、いつもと違って見えるかもしれませんね。

▼新たなカッパ像が田子山富士塚の麓に
7月から敷島神社(本町)にある田子山富士塚の麓に、新たに24体目となるカッパ像がお目見えします。
「田子山富士塚にカッパがいることで、県指定文化財である田子山富士塚を訪ねる人が増え、市内にもこんな場所があるんだと知ってもらえるキッカケになればうれしいですね」と制作者の内田さんは語ります。
「いつか田子山富士を登ってみたい」と山頂を眺めるように佇むこのカッパに会いに、皆さんもぜひ、田子山富士塚を訪ね、山頂から声をかけてあげください。

問合せ/産業観光課 内線2165

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