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広報しき 令和2年5月号

〈特集〉国重要有形民俗文化財 志木の田子山富士塚

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埼玉県志木市

「志木のお富士さん」として、明治の時代から今日に至るまで地域の人々に親しまれてきた田子山富士塚。令和2年3月、文部科学大臣より「志木の田子山富士塚」として、志木市では初、県内でも37年ぶりの国重要有形民俗文化財に指定されました。

■志木の田子山富士塚
明治5年(1872)に築造された高さ約8.7メートル、直径約30メートルの富士塚です。地元の醸造業者であった高須庄吉(たかすしょうきち)が中心となり、新河岸川舟運で栄えた引又河岸の舟運関係者や地元の商人、職人、農民など地域内外の多くの人々の協力を得て築造されました。
入口の浅間神社下社から頂上の奥宮までの間に、合目石(ごうめいし)や烏帽子磐碑(えぼしいわひ)、小御岳(こみたけ)神社など113件もの石造物が設置されています。
また、北側斜面には黒ボク(富士山溶岩)が美しく配置されているほか、御胎内(おたいない)と呼ばれる洞穴も残っており、山頂からは富士山を眺めることができます。富士信仰は現在も生きており、毎年7月には山開きが、8月には山仕舞いの行事などが行われています。
所在地:本町2-9(敷島神社境内)
志木駅より徒歩25分
志木駅東口よりバスで「富士道」下車、徒歩5分

■地域の宝を次代につなぐ田子山富士保存会
明治5年の築造から長い年月が経過したことに伴う石造物の転倒や転落に加え、東日本大震災の影響などもあり、30年以上立ち入り禁止となっていた田子山富士塚。現在のように、誰もが田子山富士塚の魅力に直接、触れられるようになったのは、田子山富士保存会を中心とした修復活動の賜物です。また、保存会の活動が、今回の国から指定を受ける際の大きなポイントにもなりました。
保存会の皆さんは、地域の宝である田子山富士塚を、子どもたちには思い出の地として、新しく住む人には、第二のふるさととして、後世へ引き継ぐとともに、地域の宝を活用しながら、志木市を盛り上げていきたいとの思いで、平成17年から活動に取り組んでいます。国重要有形民俗文化財に指定されたことを受け、保存会の清水会長は「保存会設立15年、念願の国指定を受け会員一同、大変うれしく思っています。これからも修復や保存に携わっていただいた皆さまとより一層、協力を続けながら『志木のお富士山』として後世に残していきたいです。」と国指定の喜びをかみしめるとともに、田子山富士塚のさらなる発展のため、新たに決意を固めていました。
また、保存会は、田子山富士塚の国指定のタイミングと合わせ、市から文化財保存活用支援団体としての指定を受けました。これまで以上に、市や志木市商工会と連携を図り、志木市の宝であり、国の宝でもある田子山富士塚を次代につなぐため、日々の管理や入山案内などの活動に取り組んでいきます。会員も随時募集していますので、活動に興味を持った人は、ぜひ、保存会へご連絡ください。

問合せ:田子山富士保存会(志木市商工会館内)
【電話】048-471-0049

▼「田子山富士塚関連石造物」を志木市指定文化財に指定
志木市教育委員会は、「田子山富士塚関連石造物」として、(1)道しるべ、(2)石燈篭(いしどうろう)2基、(3)鳥居台石(とりいだいいし)2基、(4)御手洗石(みたらいいし)の合わせて6基の石造物を志木市指定文化財に指定しました。国重要有形民俗文化財「志木の田子山富士塚」と同時期(明治5(1872)年~6(1873)年)に作られ、銘文などから関連が明らかであることから、富士塚や富士講についての理解をするうえで貴重な文化財です。
(1)道しるべ銘文
「是より田子山ふじ道」引又や近隣の寄進者の銘があり、田子山富士塚築造の発起人の高須庄吉(たかすしょうきち)の改名前の名前が世話人として記されています。
(2)石燈籠
引又や近隣の寄進者の銘が記されています。
(3)鳥居台石
世話人や大工・石工の銘が記されています。
(4)御手洗石
丸吉講(まるきちこう)のマークがあり、丸吉講新座郡浜崎村講中と宮戸村、東京八丁堀の寄進者名があり、製作年が田子山富士塚と同年であることから、関係が明らかです。

問合せ:生涯学習課)
【電話】内線3143

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